熊本県保険医協会新聞に寄稿

熊本県保険医協会新聞に寄稿いたしました。「噴火口」といういわゆる社説にあたる部分です。

以下、掲載された原文です。

 

クオリアという単語を宇野昭彦名誉会長から教えていただいた。チェロの演奏を聴いて、身体に響いてくるような感覚を言葉で表現できないという話をさせていただいた際のことだった。「チェロの音色と薔薇の香りは、言語化できないそうだよ」という宇野先生の話に仕事をする上でのヒントを得た。

Wikipediaによると、クオリアとは、意識に現れる「感覚的な質」のこと。「主観的経験」や「感じ」と説明されることもある。広辞苑では、「感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感」であり、「脳科学で注目される」概念である、とあった。

 芸術の分野で感動や喜びを「言語化できない」こととは異なるが、「言語化が困難」という意味で、私は、多職種連携における課題を抱えている。異なる事業所同士の「情報の共有」を大事にしているが、情報ゆえに言語化しないと難しい。情報を重要性と緊急性の観点から三段階で判断してもらって、すぐに医師に電話で伝えるのか、その日のうちにメール等で伝えればいいのか、翌日までにファックス等でクリニックのスタッフに伝えればいいのか。「情報のトリアージ」を看護師や薬剤師、リハビリセラピスト、ケアマネージャー、介護士にお願いしている。職種によって、言語化する能力に差があり、受けてきた教育や個々の経験、職場のしきたりにもよるのかもしれないと推察している。医師の敷居が高くて遠慮し、忖度している節もある。ただ、言語化できない内容もあるのは事実で、そこには配慮が必要なのだろうと考えている。

在宅医療、特に緩和ケアの場では、医療者側と患者側とで、情報共有が困難なことがある。病状の悪化や予後予測といった内容は、病院と在宅という医療者間でも、もやもやした状態で引継ぎが行われるので、より一層患者側、そしてまた患者側の家族間でも情報の共有は難しくなる。家族としては、理解はしていても納得はしていない受け入れがたい事実を突きつけられて戸惑う場合もある。「言語化できない」状況で、言葉にならずにただ涙する家族を見守る際に、医療者側には哲学的・倫理的な思考が求められる。

 神経科学者の土谷尚嗣らによれば、クオリアは理数系学問では観測・解明できないという見解が哲学・心理学・認知科学から出ている一方で、神経科学からは、クオリアを観測し解明を進めている研究が発表されているそうだ。「意識」という主観的概念を、二種類に分けて主に臨床で使われる「意識レベル」(意識の量)と「意識の中身」(クオリア・意識の質)に分けることで、「意識」を「数学的に厳密に定義できるか」研究し、数学の「圏論」を使うことで、圏論の数学的ツールをつかった主観意識の研究が枠組みとして定着すれば … 大きなブレイクスルーにつながると土谷らは考えているということらしい。

 約25年前に、抗がん剤治療中の評価指標である「QOL-ACD」の信頼性・妥当性を統計学的手法で検討した。指導していただいた故大橋靖雄東大教授にはブレイクスルーがみえていたのかもしれない。主観的指標である「QOL」や「言語化できない」内容を大事にしながら、医者冥利に尽きるといった診療から得られるクオリアを若い医師や多職種の仲間に伝える努力で、日本流のACPAdvance Care Planning)を模索し、患者さんやご家族の意思決定支援を支えていきたい。