院長ご挨拶
先輩からの教えに支えられて
2020年2月1日
令和最初の正月を迎えた。昨年は、在宅医療やACP(人生会議)の仕事を通して、医師と患者さんとの関係を考え直す機会を多く得た。特に若い頃に先輩たちから言われたことが思いだされ役立ったので、いくつかご紹介したい。
医師になり1年間は大学病院で研修した。その後、関連病院に半年間出ることになった。初日は、午前6時に集合。そこで、上司から仕事をする上での心構えを約1時間に渡って諭された。特に印象に残っているのが、「医師は三分の一ずつに分けられる。優秀な医師と普通の医師と優秀ではない医師で、とにかく普通の医師以上になれ」という話だった。患者さんを医療機関に紹介する機会が増える中で、腕がよいとか有名だとかいう前に、この人はあの医師に診てもらうのが相応しいという相性のようなものを大切にしている。話を聴いてくれることを求める人もいれば、ぱっと治療だけを求める人もいる。結果的にその選択でよかったのかわからないこともあり、医師を選ぶのは、誰にとってもいつになっても難しい。
半年間の研修を終えるころ、別の上司から「ホームランを狙わずにこつこつとヒットを狙いなさい」と指摘された。無我夢中ではあったが、なかなか仕事をこなしていくのが難しい時期だった。わずかな期間の関わりでしかないのに、後輩をきちんとみてくれるのが、医師の世界に脈々と続いている伝統だ。詰めの甘いところや一気に仕事して終わらせようとする私のやり方に対して、これ以上的確な教えはなかったように思う。
それから、呼吸器内科のレジデントとして2年間働くようになった。当時は、肺癌の患者さんに対して「肺癌」という病名を伝えることはなく、「肺真菌症」と説明して、最終段階でも人工呼吸器で管理することもあった。私自身が、人の死に対してまだまだ取り組み方がわからなかったときに、先輩が語ってくれたのが、「百人いたら百通りの亡くなり方がある」であった。この方がよかったのではないか、あの選択もあったのではないかと悩むことがあったが、お一人お一人の人生に付き合わせていただくことに感謝する気持ちがだんだんと強くなった。「生きてきたようにしか死ねない」のかもしれないと思うと、今ある生がいかに大事かを伝えないといけないし、人さまの人生に関わっていくときに覚悟や哲学が必要だと思わされた。それこそ、普通の医師以上なれるように必死に勉強しないといけないと国内留学を決める要因になったと思う。
そして、インフォームド・コンセント。医師と患者さんの関係性を考える時に、90年代から取り組んできた基本中の基本。「患者さんが十分な説明を受けて、理解し納得した上で同意する」際のプロセスの難しさを痛感している。患者さんからの信頼を得られないと、患者さんは自らのことを語ってくれない、つまり、医療者側に本当のことを伝えてくれないという現実だ。医療がどんなに進歩しても、目の前にいる患者さんに手の届く距離で仕事できるのはありがたいことだ。改めて、謙虚に取り組もうと考えた年明けであった。
主な経歴
熊本市民病院 呼吸器科 レジデント
国立がんセンター東病院 呼吸器科 医員
熊本再春荘病院 呼吸器科 医長
秋津レークタウンクリニック 等
私たちの想い
法人名のフロネシスとは、古代ギリシア哲学、特にアリストテレスによる哲学的な概念であり、「実践的な知」を意味します。また、次のような定義もあります。「倫理の思慮分別をもって、その都度の文脈で最適な判断・行為ができる実践的知恵(高質の暗黙知)」
2006年頃から野中郁治郎氏がフロネシスの重要性を提唱し続けています。科学的知識と実践的知識を融合して、創造的な行動をする能力を指しておられます。そして「個別具体的な場面のなかで、全体の善のために、意思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す能力」であると述べられています。深い倫理観、歴史観、社会観、政治観、美的感覚に基づく判断・行動であるとも書いておられます。
個人と社会の成熟が必要とされているということを謙虚に問いかけながら、私たちは日々の仕事に取り組んでいきます。