光と影 絵画鑑賞と県南水害
高校時代に小林秀雄の「レンブラントの自画像」という随筆を読んだ。いつか自画像を実際に見て回りたいと思ったのが、美術館巡りをするきっかけになった。
浪人時代に東京駅のそばにあるブリヂストン美術館に通うようになった。(今はARTIZON MUSEUMとなった)最初の部屋に入ってすぐ右側に「聖書あるいは物語に取材した夜の情景」というレンブラントの小品が飾られていた。光と影を巧みに操っていたので、じっくりと鑑賞するのが楽しみだった。
アムステルダムの国立美術館にある「夜警」いわゆる「ナイトウォッチ」をご存じの方は多いと思う。奥に飾られている部屋の手前左右両側には、多くの人物を描いた集合肖像画があるのだが、人物の描き方は平等である。当時、描かれる人からお金を集める以上、違いがあってはいけないのだ。ところが、「夜警」は異なる。これから出発しようとするのか、生き生きとした様子が伝わり、団長と思われる人物を始め、登場人物を個性豊かに描き、物語として成り立っている。レンブラントが生きている間には、評価されなかった絵画と聞いているが、光と影の扱い方は見事だ。
そして、ハーグにあるマウリッツハイス美術館。「ニコラス・トゥルプ博士の解剖学講義」を知る医学者は多いかもしれないが、レンブラント自画像を比較して見ることが出来る。1629年の若々しい姿と1669年の晩年の様子には、人生の光と影を感じずにはいられない。
さて、球磨川の水害に見舞われた県南地域の避難所を見て、熊本地震の際の避難所を思い出した。4年6か月前、益城町体育館や西原村の山西小学校の密集は、三密どころではなく、人と人が重なり合っているようで、足の踏み場もない状況だった。今回の避難所が、つまり距離を確保して段ボールベッドを用意するというのが、当然あるべき姿で、今まで標準とされていた装備が不十分だったのだ。いざという時の備えが貧しい国だということを痛感した。医療者として、行政に普段からの準備を伝えておくにはどのような取り組みが必要か考えさせられた。
国立がんセンター東病院時代には、親の死に目には会えないだろうと思って仕事をしていた。ある意味、特攻隊のような気持だった。そして今、コロナ禍では、普通の人でも子供の死に目、最愛の人の死に目にも会えない時代となった。岡江久美子さんは、小中学の先輩で、恩師からはあれほど可愛い卒業生はいなかったと聞かされていた。今年の5月に創立70周年の企画で、メインゲストが岡江さんと知り、同級生で集まろうと楽しみにしていた。その岡江さんの遺骨を受け取る大和田獏さんの様子をテレビで見てしまった。濃厚接触者で、外出も出来なかっただろうし、まして看病も出来ず、看取りにも立ち会えなかっただろう。宅急便が届くように遺骨が届くというのはありえない、と思わされた。
その時代には、評価されて価値があるとされたものが、数十年してみれば、まったく評価されないということは、歴史的にはよくあることだ。多様性が認められ、寛容な世の中が求められているのだと信じたい。
コロナ禍でいろいろな価値観が変わっていく。今までの当たり前が当たり前でなくなる。後年、2020年を歴史的に振り返ったときに、1945年や1989年に匹敵する年と言われるのだろう。その渦中にいる今、地震や水害の熊本という地にいて、考え続けなければいけないと自戒している。光と影があるのが人生だし、人間なのだろう。